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鳥の海干拓伝説(2)

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前回に続き、工事に取り掛かった二人のその後です。

「猿手」(さるで)という道具で土を運んだって。
オラコメ→オラこれ知ってるよ。
(旧雄和町左手子(さでこ)の地名の由来といわれています。)
現在は、雄物川を挟んで、メメギとサデコは、向かい合ってますよ。
やがて谷が開き、湖水は大河となって日本海へと流れ出ました。
後に残ったのが雄物川です。
そんでも、アチコチに水溜まりが残ったんだよ。
そこに「だいだらぼっち」という巨大男が、右足は奥羽山脈のふもとの長者森(横手市)に、左足は出羽山地の八沢木(旧大森町)において、手で、チャポチャポ水をかいたり泥をすくったりしたので、水溜まりがなくなり広大な横手盆地が、生まれました。
だいだらぼっちは、全国の民話に登場する巨大男ですね。
なんせ、大男のため、彼の男のシンボルが下がったところは、横手市大雄の佐加里(さがり)と言うところだそうです。
フンドシぐらい、したらいいのにねぇ。
なになに、そうすると御利益ないって?
その後、巨大男は、太平山へと去った。
三吉神社の化身であったそうだ。
明保長者は、この平野に住着し、人々に農業の技術を教えた。
人々は、彼の功績に感謝し副川神社(そえがわじんじゃ)を建立しました。
大仙市に有ったが、現在は、秋田市に移ってます。
明永長者は、この平野を山北と名付けました。
(後の仙北)
そして、農業のやり方を人々に教えたそうです、。
御嶽山の国見峠から干拓した平野を見つめ、人々を集めて酒を振るまい、神楽を演奏して、工事の成功を祝ったと、横手市御嶽山・塩湯彦神社(しおゆひこじんじゃ)に伝ってます。
とっぴんぱらりのぷー

鳥の海干拓伝説を直接案内する案内板は、見つけることが出来ません。残念です。
これは、伝説です。創話です。しかしながら、我々の祖先は、農地を開き、何代も継続した意思を持ってこの大地を手を取り合って作ってきたことの誇るべき壮大な実話なんだな。

横手市には、明永長者の「明永町」の地名と明永沼」があります。
この沼から御嶽山が見えるんだそうですが、オラには、どこなんだか?
秋田三大伝説に挙げられる鳥の海干拓伝説は、鎌倉時代頃の発祥だそうです。
次回は、御嶽山の塩湯彦神社をUPします。

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